Dawn of the Kids

『キン肉マンⅡ世』世代のブログ

関西私立中学入試における2番手男子校の共学化というトレンドは男女の教育機会を均等にする?

お受験フェミニズムが必要なんじゃないか、と思うわけです。


各種お受験がひと段落ついたこの3月、受験における男女格差に関する記事がいくつか話題を呼びました。

私立中の共学校入試にモヤッ! 男女別の募集と合格最低点は「差別」か?|Think Gender|朝日新聞EduA

都立高校入試の“男女別定員制” 同じ点数なのに女子だけ不合格? | NHK

どちらも東京の話だったので、関西の話をしますね。
大阪で生まれた女やさかい……(戸籍上)


時は2006年、男子校だった洛南高等学校附属中学校が共学化しました。
それにより洛南中学の学力偏差値は高騰。今では関西最難関中学としてのブランドを確立し、京都府内には収まらない高名を轟かせています。

なぜ、洛南中学の共学化は大成功を収めたのでしょうか。

1つめの答えは簡単です。
女子に門戸を開いている最難関中学が少なすぎたのです。

言わずと知れた灘中学も、その次点とされている甲陽学院も、大阪の最難関私立である星光学院も、奈良トップの東大寺学園も、み~~んな男子校。西大和学園も当時は男子校でした。京都も洛南洛星と男子校2強状態で、とにかく”最難関”は女子が入学できなかった。女子を入れずに男子だけで競争しといて”最難関”なんてちゃんちゃらおかしいやい!と思ってしまいますが……

私だって、自分よりも偏差値の低い男子たちが意気揚々と灘中に合格するのを、砂を噛むような気持ちで眺めていました。
め~ちゃめちゃ悔しかった。
子どもに猛勉強させるのって大変で、大手塾の最上位クラスともなれば「灘中に受からなければ人生終わり」というメッセージを暗示され続けます。平安時代末期について学んだ日には「非灘非人(灘にあらずんば人にあらず)」という最悪の茶々が男子生徒から飛びます。*1

「灘中に行けない私は劣っているんだ」と「女に生まれた私は劣っているんだ」の距離は目と鼻の先!

数えきれないくらい全国一位になったことがあるのに、一番賢い灘中に行けない。
なぜなら女に生まれたから。
灘中に行けない奴は劣った存在,by the way.
もしかして女って劣った存在なのか!!!??!?

賢さを鼻にかけていた私はハチャメチャに女性蔑視を内面化しました。死ィ~~~!

ちなみに、2006年当時に関西女子最難関とされていた神戸女学院四天王寺はどちらも女子校でした。
神女・四天・偏差値としては並ぶ清風南海スーパー特進(共学)に通わせるには少し遠い京都近辺のスーパーかしこ受験生は、どこを受験すべきかかなり悩んだことと思います。*2

洛南中学の共学化は、まさに待望の共学化だったでしょう。

そんなわけで、共学化初年度の入試倍率は女子だけで言えば4.45倍!*3
私立中学の入試としてはかなり高い倍率です。どれだけ待ち望まれていたかがわかりますね。



さて、洛南中学の偏差値が高騰した2つめの理由は出ましたよ、気がつきましたか?

共学化初年度の入試倍率は女子だけで言えば4.45倍、男子は2.71倍です。
男子と女子で倍率が違うんですよ、これがどういう意味かおわかりですね。
女子の合格者数を絞ったから女子の偏差値が高騰したんです。

共学化初年度の合格者数は男子263名、女子64名。
先日行われた2021年度入試は男子合格者219名(実質倍率2.42倍)女子合格者81名(同3.25倍)という結果になりました。たった400点満点の入試で、専願の合格点は男女で40点の差がありました。*4
受験は1点の差で決まるぞ!と塾講師から耳にたこができるくらい聞いていましたが、実際には40点の差でしたね。男にうまれたら40点ボーナスだ!*5
やった~~~~(やってない)

女子の数を絞ったことで倍率・偏差値が高くなり、それによってますます人気が出たんですねえ!*6

ちなみに合格目安偏差値も現在に至るまでずっと男女で別れています。*7
f:id:hxmxbx:20210330004805j:plain

それにしても、2006年度から2021年度で合格者の男女比がほぼ変わっていない……
男女比1:1で合格者最低点が違っても不公平なのに、3:1近い比率というのはかなり嫌な感じです。
とはいえ私立なので、定員数を男女別にするのも自由と言われてしまえばそれまで……

受験情報誌*8にはこんなふうに記載されています。
f:id:hxmxbx:20210329001637j:plain
あれ!?
募集人数、男女合計で280名!!!!?!??
定員男女で別れてへんやんけ!!!!!!!
ふざけるな!!!!!!!!!!

公式ホームページの募集要項も同様の表記でした。*9

てっきり男女別で定員を設けているのだと思っていたのですが……
というか男女で倍率・偏差値が違うのはお受験する人間にとっては有名で、男子校から共学になったばかりだからトイレ等の設備面で問題があって女子の定員が少ないのだと教えられていたような気すらするのですが……*10

たとえ設備の問題があるにしても、男女比に偏りがあるだけでも十分に女性差別的であるのに、
実は定員なんか関係なく、決して公表されない謎の基準をもって合否を決定しているということ!?
そんな……そんなんあり???!!?

確かにみんな知ってますよ、受験が終わってから「う…うらぎられた!!」とネプチューンマン顔する児童はおそらくいないんですよ、それでも、それでもよ、フェアじゃないでしょうがよ!!!

f:id:hxmxbx:20210117014311j:plain
ゆでたまごキン肉マン』23巻, 1985年, 集英社, p.169

みんなはどう思う?

私はねぇ~、せめてもの公平性を期すために男女別の定員数を公表したほうがいいと思う!
あと~、トイレが足りないか何かの問題を洛南中学は15年間放置してるってことだから、さっさとそれに対応すればいいと思う!!
だって15年だよ!?
そろそろどうにかしようよ!!!
15年でトイレの増設すらできない学校には不安をおぼえるよ!!

もちろん私立校なので、入試選抜の裁量権、男女比を固定する自由はありますが、そちらが自由に差別をしてくるならこちらも自由に批判させていただきますというだけの話です。



これだけでは終わりません。
似たようなことが言える私立中学が他にもあります。

中学は男子校・高校から入学するクラスだけ共学という謎のねじれを解消し、2014年から共学となった西大和学園中学校の2019年度入試における合格者最低点を調べたところ、「本校入試342点 女子(本校のみ)398点」というとんでもない表記になっていました。*11
男/女の二元論的表記でさえ正直あんまり良くないのに、全体/女なんていう表記をするんじゃないよッ!
表記もヤバいし56点差なのもヤバい。

ちなみに西大和学園の募集人数は男子180名、女子40名。こちらはさすがに男女別での募集です。
男女別の合格者数は男子520名(実質倍率1.85倍)、女子37名(同5.92倍)。*12
あからさまな倍率の違いにドンびき(こめかみの血管がどんどんビキビキ)ですが、まあ倍率に限っては情状酌量の余地ありというか……

男子はたいてい滑り止めとしてこの学校を受けているんですよ。
西大和学園が編み出した最強の入試!灘中の2日目が終わってすぐに奈良へ直行させる、通称「午後受け」が炸裂!!
しかも、国算理の3科目だけで受験できる灘中に合わせ、社会を使う方式と使わない方式の両方を備えているのが、この西大和学園の抜かりなさ。
しかもしかも!入学手続き締切日を異常に早く設定することにより、他の滑り止めの結果を待たずに入学金を納入させる!すごい!!商売が上手い!!!!
灘には受からない程度だとしても十分に優秀な男子、を集めることに特化した手口と言えます。

男子はずいぶん余裕を持って数多く合格させなければならない一方で、他に最難関と呼べる受験校の少ない女子は滑り止めとして西大和学園を受験することがないので、このような倍率の差が生まれてしまうわけです。*13

いやしかし500点満点で合格者最低点56点差とは……

でも、これだけ女子の定員を絞ったかいあって、見事「関西女子最難関」の栄冠を獲得!
『田舎の無名高校から東大、京大にバンバン合格した話―西大和学園の奇跡』という経営書が出版されるほどの有名校・名門校に出世しました。*14



そして、最近のトレンドといえば2017年に共学化した高槻中学でしょう。
大阪医科薬科大学の附属校ということもあり、「洛南や四天王寺などの最難関を目指すには厳しいが、かといってその下のランクの学校ではもったいない」という”空白の中間層”と言える偏差値帯の娘さんがいるご家庭に大ウケ。みごと大阪の私立中偏差値ランキング2位にのし上がりました。

こちらの募集人数は男子180名、女子90名。*15
2019年度入試の合格最低点はA日程:男子241点、女子271点 B日程:男子207点、女子221点(400満点中)と差はそれぞれ30点、13点となっています。*16

洛南・西大和に比べれば合格最低点の差は小さいですが、それでも女子のほうが高いことに変わりはないんですね。
医学部の不正入試でも都立高校の男女別定員制でも、そのせいで不合格になった男子も存在するとはいえ、割りを食った受験生の多くは女子です。
ほんまええかげんにしてくれよ。




さて、洛南・西大和・高槻と、この15年間に男子校から共学へと転身した関西の私立中学を見てきました。
その結果として洛南・西大和は「関西女子最難関校」となり、高槻中学もブランド力を高めました。かつての最難関:神戸女学院四天王寺はすっかり2番手ポジションに。

悪いことばかりではないはずです。
名門男子校が女子にも門戸を開いたということは、それだけ見れば良いことです。
この調子で灘中が共学化すれば、私のインナーチャイルドも浮かばれるってもんですよ。

でも、何なんでしょう?このいらだちは。

最難関校で良質な教育を受けたい女子の志が、同じ学校を受験する男子よりもずっと勉強ができる女子のその賢さが、「最難関」の名を欲する私立中学に利用されているように感じます。

なんで私たち、普通に灘中に行かせてもらえないんだろう。
灘中は今のままでダントツの一番だから、今さら行き場のない女子を集めて女子最難関の名を冠するまでもないからですかね。
女に生まれた子どもは灘中にとって利用価値がないから受験させてもらえなくて、洛南や西大和にとっては利用価値があるから狭く門を開いてもらえる。
男子とは段違いの厳しい競争に打ち勝てば、そりゃあ気持ちもいいですよ。この競争に勝つこと・勝つ能力があることにこそ価値があるとずっと思い込まされてきたんだもの。
でも私たち、女に生まれただけで可能性を狭められることを、いつまで受け入れ続けなきゃいけないの?



関西私立中学入試における2番手男子校の共学化というトレンドは、はたして男女の教育機会を均等にする、女性のための改革たり得るでしょうか?
今のままではあり得ないと私は結論づけます。

お受験フェミニズムが必要なんじゃないか、と思うわけです。



……そんなわけで、関西圏における中学受験の実態調査を行なっています。(2021年5月31日まで)
回答者は”関西圏で2006年度から2013年度に中学受験をした方”に限定しております。
個人的な内容も答えていただくことになりますので、注意書きをお読みください。
docs.google.com
また、スノーボール・サンプリング法(a.k.a.雪だるま式)で回答者を集めているので、条件に当てはまるお知り合いにURLを回していただければありがたいです!
データを集めてどこか(どこか)にカチ込みたいので!よろしくおねがいします!!!!!



おわり


2021.11.24追記
私たちの中学お受験フェミニズムが同人誌になりました!
thepatra-committee.com
↑でお願いしたアンケートの結果や分析はもちろんのこと、様々なデータに基づいた近畿圏・女子・最難関の中学受験に関する論考や、私たち世代の母親が辿った歴史、4万字超の対談を収録しております。
この記事をここまで読んでくださった方なら必ず興味深く感じていただける内容になっているかと思います。
通販の案内もありますので、是非とも上記リンクをご確認ください!(商魂たくましいネ)



ついでだから滋賀医科大学の2016~2020年の一般入試データ*17も見てね
f:id:hxmxbx:20210117015621j:plain


hxmxbx.hatenablog.com
hxmxbx.hatenablog.com

*1:灘中は受験に社会が必要ないので社会を真面目に受ける男子なんかいない

*2:あとなんか……女子校イヤって人いるじゃないですか……なんでかわかんないんですけど……わかんないなりに考えますが……男より女の方が下という女性蔑視は根強いので、中学受験させるくらい意識の高いご家庭は「大学受験に備えて、男もいる環境で揉まれなきゃ!」みたいに考えて女子校を敬遠するパターンがあると思うんですよね。関西の中学受験はそのまま大学までエスカレーターになることが少なくて、だいたいは大学受験をするんですよ。最難関中学が附属している大学は偏差値50にも満たなかったり、そもそも大学附属じゃなかったりするので……あとなんか……女子校ってドロドロしてるから~って100回くらい言われた……当事者には1ミリもわからん偏見をぶつけてくるな ば~~~~か

*3:『2007中学受験用 私立中学への進学 関西版』2006年、教育出版ユーデック、p.247

*4:https://www.rakunan-h.ed.jp/to-candidate/admission/examinfo-junior/

*5:女に生まれたのでレイブンクローは40点減点

*6:中学受験のトップ層では、偏差値が1違うだけでもブランド力にかなりの差が出ますし、「最難関」であることにかなり価値が置かれます。日能研によれば、2006年度の入試結果から算出した洛南(専願)女子の合格目安偏差値(合格率80%以上)は65、男子は63。先述した神戸女学院は偏差値61と、関西女子最難関の座を洛南に譲ることとなりました。『2007年入試用 私立国立中学受験 学校案内 関西 中国・四国 九州版』2006年、日能研ブックス

*7:『2007年入試用 私立国立中学受験 学校案内 関西 中国・四国 九州版』2006年、日能研ブックス、p.125、https://www.nichinoken.co.jp/np5/schoolinfo/pdf/r4/results/r4_2019_w_f.pdf ←このリンクの数字をいじれば2008年度まで遡れます。fをmに変えると男子です。

*8:『2020中学受験用 私立中学への進学 関西版』2019年、教育出版ユーデック、p.277

*9:http://www.rakunan-h.ed.jp/junior/wp-content/uploads/2019/08/2021_junior-youkou.pdf

*10:友人は「男子が委縮しちゃうから女子が多すぎると良くない、男女比は2:1が適正」と洛南の説明会で聞いたと主張していますが、真相は定かではない……

*11:『2020中学受験用 私立中学への進学 関西版』2019年、教育出版ユーデック、p.345

*12:同じく2019年度、特色入試を除く

*13:2006年度の共学化以来「関西女子最難関」であった洛南ですが、2016年度頃から西大和の偏差値が洛南を抜いて「関西女子最難関」となっています。https://www.nichinoken.co.jp/np5/schoolinfo/pdf/r4/results/r4_2019_w_f.pdf ←このリンクの数字をいじれば2008年度まで遡れます。fをmに変えると男子です。

*14:2015年に出版されたので、中学の共学化はあまり関係ないかもしれません。読んでいないので書籍の内容は存じ上げないのですが……そもそも西大和学園は「お受験少年院」とあだ名されるくらいには”面倒見の良い”学校として有名で、そのような躍進も不思議ではありませんね。

*15:2022.01.11追記:2022年度入試より男子160名、女子110名に変更となりました。20名分の定員が男子から女子に移動したかたちです。まだまだ段階的に共学化していく最中といったところなんでしょうね。https://www.takatsuki.ed.jp/admission/guide

*16:『2020中学受験用 私立中学への進学 関西版』2019年、教育出版ユーデック、p.99

*17:https://www.shiga-med.ac.jp/admission/undergraduate/exam-data

医学部入試の男女別合格率を調べてみた編集後記

hxmxbx.hatenablog.com
↑の編集後記です。
全国の医学部を擁する大学81校+防衛医科大学校すべてのホームページを駆けずり回り、2016~2020年度における一般入試の男女別合格率を調査しました。これが素人の限界だ!

まずは、zoomでやいやい言いながら一緒になってデータのチェック等をしてくれた友人たちに感謝します。
「不正入試10大学だけじゃ済まんでしょ、絶対もっとやってる、でもこの気持ちをどうすればいいのか」「全大学の入試データぜんぶさらうだけの、やってんな〜とは言わないブログ書けばええんか?」という与太ツイートをふぁぼった君たちのせいでこの労働が発生したわけですが……

ちなみに上記のツイートに至る原因となった某大学の男女別合格率がこちらです。

f:id:hxmxbx:20210117015621j:plain

こんなん……
改心しとるやんけ……!

こんなことされたらもう受験生にはどうにもできないじゃないですか。
5の倍数で不正っぽくなる世界のナベアツ*1されたら。

ここまではっきりと男女の合格数を操作しているように見えちゃう数字でも、文部科学省はスルーしちゃってるのでしょうか。
「不正の事実はない」とアンケート用紙に書いて返送すればそれでオッケーなんでしょうか。


こんな激ヤバ数値でなくても、5年連続で合格率が女<男になっている大学が多かったですね。*2

医学部男女の合格率、8割で男子が高かった 東京医科大問題で文科省調査 - 子育て世代がつながる | 東京すくすく ― 東京新聞
この事実は、女が男より劣っていることを示しているでしょうか?

私はそうは思いません。

ではどうしてこのような結果になるのでしょうか。

東京医科大のように女性受験者だけを大幅減点してむりやり不合格にする、そんな大学ばかりではない……はず……そうだったらいいのにな……
とにかく、そういった書類に残る形の、意識して行うクロ案件でなくても、無意識に差別意識が露わになってしまうことが当然あり得るような社会構造だと感じます。

無意識の性差別、結局これがガラスの天井のぶあつい層のひとつなのではないでしょうか。

たとえば、女性の合格者数が全体の半分以下になったらいいな~と思いながら面接をする。女子が多いと空気が悪くなるから。(謎の偏見)

たとえば、追加合格の電話をかけるとき、なんとな~く男性からかけてみる。性別欄があれば男・女だし、たいていのことは男が先だし。(なんでなの?)

たとえば、面接の際に、なんとな~く男性受験者のほうが伸びしろがあるように感じて、そのように得点をつける。

なんとなく男性受験者のほうが伸びしろがあるように感じる、これな~んでだ?\\最初は女の方が出来が良くても男の方が伸びるから~~~//
そんなん言われるから伸びね~んだよ~~~~ \\ワーーーー//

クソみたいなコール&レスポンスをしてしまいました……

こういう話をしていると、「最初は女の方が出来が良くても男の方が伸びる」と言われたらそりゃ女は心折れて伸びないよ!という議論になりますね。
本当にそう。そう、それってもちろん正しいんだけど、女の心が折れなかったとしても、ずっとずっと頑張り続けたとしても、小中高大・就職後もず〜~~っと「結局は男の方が伸びる」と男が優遇され続けますよね?

しかもそうやって出てきた結果が、各男の手柄として扱われますよね?

じゃあ本当に男は“伸びてる”ことになるんですよ。

「男の方が伸びるから」と入れてもらえた高校で勉強したあと「男の方が伸びるから」などと面接で判断されて難関大学に合格できると、「やっぱり男の方が良い結果を出した」という“事実”が生まれるんですよ、

「男の方が伸びるから」「女は結婚出産ですぐ辞めるから」と大事な仕事・将来性のある仕事を任せるから、そういう仕事を任せてもらえないうえにセクハラされた女はもっと良い待遇を求めて辞めたり、偏見を内面化して出産を機に辞めたりして、「ほらね」ということになっていくんですよ、

これが受験から就職後まで、ゆりかごから墓場まで続いているのが現状の世界なんですよ、伝わってますか????

すべての道のりが男のためにお膳立てされているから男が伸びるのであって、女が心を折るかどうかは関係ないでしょう?

人生ってこういうジェンダーバイアスの結果の連続なんですよ。
良い方の結果ばかりだったあなた、良かったですね。



ブチ切れてしまいました……

ジェンダーバイアス以外の原因も考えますか?

よく言われるような、数学の難問を出すので数学が苦手な傾向にある女性は得点が伸びない、なんてそんなんもう、ねえ!?*3
女性が理系科目苦手という偏見はいつどの時代から!?女性が理系学問から締め出されていた時代からでは!?*4
みんなたちが「女子は数学が苦手!むしろ苦手なほうが女らしい!」とか言うから苦手な気がして本当にそうなっていくのでは!?*5
事実、12歳くらいまでは算数の得点に男女差はないという調査結果があるらしい、みんなの差別が世界を変えたよ!最悪だね!!!!!!!*6

あれ?これ何の話??



ともあれ、
『女子校から共学化するべきか?』という議題のディベートで「学力の底上げになるから賛成です」と発言した同級生に対して「それは女は学力で男に劣るという意味ですか?」と必死で返した中学1年生の私に、
医学部を志す同級生が「○○大は女子の数絞ってるらしい」と話すのを何とも思わず聞き流していた高校3年生の私に、この記事と前記事を捧げます。

女性であるだけで可能性が狭められてしまうことを当然のものとして受け入れてしまう経験が二度と無いように、受け入れさせられてしまう社会を少しでも変えられるように、生き続けていられるように努力します。
この世界から消えてなくなりたいと何度も思ったけど、消えるべきは私じゃなくて差別だって今はわかるから。

*1:世界のナベアツは5の倍数のとき犬っぽくなる

*2:そういう大学の全学部データも少し作ってみたのですが、結果はまちまちです。統計の心得が無いので何とも言えないな~という感じです。

*3:OECDThe ABC of Gender Equality in Education(2015)によると、数学に関しては女性が男性に対して加盟国平均11%ビハインド。しかし科学に関しては加盟国平均ならほとんど差はありません。ただし、女性は具体的な事象から科学的な問題点を見出す問題形式に強く、男性は現象を科学的な知識で説明する問題形式に強い傾向がある、という結果も出ていました。大学の入試問題なんかはたいてい公式を現象に当てはめる演繹的なものなので、後者に近い力が問われていると言えるのではないでしょうか。

*4:保井コノが日本女性初の理学博士となったのは1927年、日本初の理学博士伊藤圭介が学位を授けられたのは1888年

*5:女の子は数学が苦手だからね~と言われている状態の女の子がなんらかの難問につまづいたとき、そう言われていない女の子と同じくらい粘り強く考え続けることができるでしょうか?みんなも考えてみよう!

*6:空間認知力に関して女性は男性に劣るというのはわりとよく言われることですね。『話を聞かない男、地図が読めない女』的な……。でもこれだって、子どもの頃に与えられる玩具の特性などから差が生まれている可能性は考えたことがないですか? マップがあるタイプのビデオゲームやレゴブロック、プラモデルなどを買い与えられるのは男児が多いという偏りがそもそもありますよね。生まれた瞬間から始まってんだわ…… ちなみに私も空間図形を頭の中でグリグリ回すような考え方が苦手なまま大学受験を乗り切ったのですが、入学後バイト先で「女の子は図形苦手やからな~」と言われ、初耳!!!と思いました。偏見に晒されずそこまで来れたのは希少パターンなのかもしれないです。

医学部入試 男女別合格率を5年分調べよう!!の巻

2018年。複数の大学において医学部入試で不正が行われていたことが発覚しました。


どの大学がどのような不正をしたのかもう全然覚えていなかったり、続報までは追いかけていなかったりする方も多いのではないでしょうか。

そのあたりのことはウィキペディアに任せます。

ja.wikipedia.org

 最近のウィキペディアは各新聞社の記事リンク付きでニュースが追えてすごい。

 


私がこのニュースを聞いて感じたのは、「私はずっと前から知っていたのに、それをおかしいと思うことも、何か行動することもできなかった」という屈辱と後悔でした。


“ずっと前”とは私が高校生のときのこと。有名予備校の医学部コースや医学部専門塾に在籍する同級生が複数いたため、大学受験直前のナーバスな雰囲気の中、医学部入試に関する噂が聞こえてくることもありました。

「○○大は女子の数絞ってるらしい」
「××大と△△大は浪人生があまり受からない」

そのような会話はすぐに終わるものではなく、最終的には「女に生まれた私たちは浪人すれば合格可能性が下がる一方である」といった諦めの言葉まで続きました。


このときの私たちは決して怒りに満ちてはいませんでした。

約10年前、高校生だった私たちは社会に適合しようと必死でした。

女性であるだけで可能性が狭められてしまうことを、それまでの人生を通して、当然のものとして受け入れてしまっていました。そう思わされてしまうような社会でした。

大学受験の構造そのものに差別的な要素があることが視界に入っているはずなのに、むしろその競争で勝ち抜くこと・勝ち抜く能力がある人間にだけ価値があると思い込まされていました。

性差別が個人の問題に見えてしまっていた私たちも、まあそこそこの大人になり、さらなる性差別にもぶつかり、やっとこれが社会全体で乗り越えていくべき問題であることに気がつきはじめました。

高校時代の自分を悔やむように医学部不正問題のニュースを読んでいるわけです。*1


例えば以下の記事。
医学部男女の合格率、8割で男子が高かった 東京医科大問題で文科省調査 - 子育て世代がつながる | 東京すくすく ― 東京新聞


これは2013~2018年度の男女別合格率を文科省が調査した際のデータが主眼となる記事ですが、注目していただきたいのは末尾にある医学部予備校代表のコメントです。

◇医学部受験予備校「プロメディカス」の武林輝代表の話

不正をしたか問われて正直に答える大学があるのか疑問。不正を行ったという回答がないなら、なぜ男子の合格率が高い状態が続いているのか、納得できる説明がほしい。調査では、一般入試と、地域枠や指定校などさまざまな条件で行われる推薦入試の結果を一緒に計算しているため、推薦で女子が多く合格した場合に一般入試で男子有利に操作されても数字が相殺され、女子の不利な扱いの実態が埋もれてしまう可能性がある。

 めっちゃ聞いたことある~~~~

推薦入試で地元のかわいい女の子をたくさん合格させてその土地に男の医者を定着させようとする地方医大の噂、進学した友人から聞いたことある~~~~

もちろんこれは学生たちが勝手に、まことしやかに噂しているだけのことで、真偽は定かではないのですが、少なくともそんな風説が流れるような環境ではあるわけです。


もしかして、調査すべきは一般入試のみの合格率なのではないでしょうか。
そもそも推薦入試は医学部に限らず、志望理由書・面接(つまり人柄)も加味される入試形態であり、「学力だけでのし上がれるはずなのに…」との印象は薄いものです。


学力一本ガチンコ勝負!性別で判断なんてもってのほか!であるはずの一般入試だけのデータを見てみたい!!*2


そう思った矢先、文科省からこんな宣言が。
81医学科の男女別合格率、毎年公表へ 文科省が調査:朝日新聞デジタル


やったぜ!!!


そして、結果出てきたデータがこちら。
『医学部医学科の入学者選抜における男女別合格率について(平成31年度・令和2年度入学者選抜)』


一般入試と推薦入試を合わせた数字しか見当たらないですね。
一次試験と二次試験も合算されています。
正直物足りません。
がっかり……。


なぜこんな態度になっているかと問われれば、なんと!もうすでに私の手元には一般入試のみ・一次二次別のデータが揃っているのです!!

 


というわけで、私が趣味で収集した、全国医学部医学科男女別合格率のデータをお見せします。

いずれも大学の公式ホームページから採取したデータであり、各大学の意思で公表されている範囲のものになります。
よって、男女別のデータを掲載していない大学・入学者数のみ掲載している大学など、内容にかなりバラつきがあります。


基本ルール:

①一般入試(前期後期とある場合は前期試験のみ)のデータを5年分採集。*3

②国公立で足切り(一次試験不合格)があった場合は足切り後のデータを採集。私立はできるだけ一次二次両方を採集。*4

③受験者数÷合格者数=合格率とする。*5


人力で収集したデータですので、(友人の協力でチェックを重ねたとはいえ)ミスの残るところや見落としなど見受けられるかと思いますが、どうかご容赦ください。


それではご覧ください。

docs.google.com


上のデータでは、合格率が女>男になっている年度のF(私立大学の一部はF,G)列をイエローに色付けしています。


イエローの割合が50%未満であるのは火を見るより明らかですね。

実際に、上記のニュースソースにある通り、文部科学省の調査によると81校2013-2018年度の男女別合格率は、約8割の大学において男子が上回っていたそうです。全体の合格率は男子11.25%女子9.55%。


このことは、女が男より劣っていることを示しているでしょうか?

私はそうは思いません。

文部科学省の調査で不正入試が判明した10校(男女に関しては4校)だけが不正をやっていたとは思えません。

先述のとおり、もっとたくさんの大学に関して不正の噂が飛び交っている高校時代を過ごしたからでもありますが、それ以上に、この世界にはさまざまなジェンダーバイアスが存在しているからです。

この世界には性差別があるけど、筆記試験においてはそうじゃない!
という神話は、残念ながら2018年に裏切られてしまいました。

 

でも、すべての大学で毎年合格率が女<男になっているわけではないことも、このスプレッドシートは証明してくれました。国立大学から抜粋すれば、千葉大学愛媛大学琉球大学において、5年中3年以上は合格率が女>男の割合になっています。*6
たったの3校ですが、そのような大学にこそ注目し、この世界に希望を託してみてもいいのかもしれませんね。


真に公正な試験がすべての入学試験において実現し、その手続を信じられる時が一刻も早く訪れることを切に願います。




編集後記(感想)も読んでいただけると喜びます。

hxmxbx.hatenablog.com

 

*1:医学部の不正入試が医学部受験界隈では「当然のこと」とされていたことを主題とする記事を載せておきますね。東京医大の入試点数操作「なぜ今さら?」と予備校関係者 「他大学でも40年以上前から行われている」 | キャリコネニュース

*2:これは「世間一般のイメージでは」「理想を言うと」のお話です。もちろん、多くの医学部入試では面接試験が点数化されており、点数という形でなくとも、募集要項に「面接の評価が著しく低い場合、総合得点にかかわらず不合格とする」なんて明記してあることも。面接試験で得点調整すればどうにでも不正ができてしまう問題についてはこちらの記事を一読ください。朝日新聞デジタル:入試面接0点、なぜ 今年医学部不合格「採点基準は」 - 受験ニュース - 2013年度大学入試センター試験 - 教育

*3:一般入試に絞る理由は前述の通り。
前期に絞る理由は、後期試験を実施する大学が2021年度入試では国公立18/50・私立10/31校(全体の約35%)と少なく、スプレッドシートの枠を新たに作るのが面倒だったからです。あと私立の入試方式は大学によってかなり幅があるため、「それは前期ではないのでは?」というデータを掲載しているかもしれません。
5年分なのは、国公立の公表データが5年分までのところが多かったのと、気力の問題です。

*4:国公立の足切りはおおむねセンター試験の点数で判断されており、さすがにそこで性差別が行われる余地はないと考えたため。
私立の一次試験内容は個別学力検査であり、国公立の二次試験に相当すると思われるためデータに含みました。

*5:試験結果データの項目は、志願者数・受験者数・合格者数・入学者数の4種類に大きく分けられます。志願者数→受験者数や合格者数→入学者数での変化は、推薦入試で一般入試の前に合格が決まったケースや併願の都合など、多岐にわたる原因が考えられるため、受験者数と合格者数を採用しました。

*6:公表しているデータが5年分に満たない大学は残念ながら選外としています。千葉大学は地域枠込みの数値なのでここに入れるか悩んだのですが……1つでも多くの希望が欲しくて入れました……
公立大学は該当校なし、東京女子医科大学を除いた私立大学では関西医科大学久留米大学が該当するのですが、その2校は一次試験において女子の合格者数を制限している可能性が感じられる数値であったため、本文には記載していません。

『テリー・ザ・キッドの夜明け』後編

f:id:hxmxbx:20200808194050j:plain
私もこれを見て キッドはさすがテリー一族の跡取り… と思った!


f:id:hxmxbx:20200808194159j:plain
f:id:hxmxbx:20200808194215j:plain
ゆでたまごキン肉マン』25巻, 1986年, 集英社, pp.117-118

物理攻撃が効かないとその見た目から明らかに察することができる相手に怖気づくことなくキックやパンチを見舞い、痛いことなんか事前に絶対わかってたのにしっかり痛がるパフォーマンス、テリー一族にしかできない



前回↓に引き続き、キン肉マンシリーズをほぼ知らない友人たちとお送りします。
hxmxbx.hatenablog.com
『キン肉マンⅡ世』特別読切 『テリー・ザ・キッドの夜明け』後編 - キン肉マン - コミック|週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト]から画像を引用させていただくのも前回同様です。



さて、一週間経ち『テリー・ザ・キッドの夜明け』後編が公開されましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
「あれまだ続きあるの?」
ありますよ。前編って書いてあったでしょう、見えてなかったんですか?
見えていたとしても信じたくない気持ちはわかりますが……

f:id:hxmxbx:20200808210456j:plain
煽り文がもうつらいですね。
「男を示しテリー一族の誇りを守れるのか……」じゃないんだよな~~~
”男を示す”も”テリー一族の誇り”もテリーマンがキッドに押し付けた価値観でしかないし、やたらと押し付けてくるのは自分自身のアイデンティティが揺ぎつつあるからに過ぎないと思うんですよね。
そもそも男を示さないと守れない”テリー一族の誇り”は女の子が生まれた瞬間に消え失せてしまいそうですが大丈夫でしょうか。

テリーマンの娘が主人公のスピンオフ、読みたい……
父親に似て向こう見ずで権力を嫌い喧嘩っ早いのに「女の子だから」と格闘技を習わせてもらえず、それなのに父親は超人レスラー時代の思い出話ばかりして過去の美しさにうっとりしているので、とにかくイライラしているテリーマンの娘のスピンオフ……(?)


魔雲天の語る壮絶な過去が『キン肉マン』の完璧始祖編と完全に矛盾してしまったことについては、既に多くの方が指摘しているかと思うので割愛します。


一見すると相反しているように思えるこの2つのリプライ、そういうことなんですよねゆでたまご先生!?
キン肉マンⅡ世』をキン肉マン史から排除するなどという一部のオタクがやっていることを望んではいないが、『テリー・ザ・キッドの夜明け』は純粋に矛盾しているので単行本に収録することはできない、そういうことなんですね……


キン肉マン』の話をしているとすぐ脱線してしまいますが、シリーズ40年分の蓄積がある以上は避けられないことです。本題に戻ります。


f:id:hxmxbx:20200808213721j:plain
「自分の息子を”作り”!?」
魔雲天が粘土こねて生み出した命なんじゃないですかね……

超人、特に無機物系超人の生殖フローは私たちの想像とはまったく異なるものかもしれないし、文字通り自分ひとりで日曜大工よろしく作った暴留渓(ボルケーノ)なら自分の復讐を代行させるのもアリな気がする、マッドサイエンティストみたいな……いや暴留渓に自我がある時点で駄目ですが……
f:id:hxmxbx:20200808214227j:plain
「でもテリーマンは絶対粘土こねて作ってないじゃん」
テリーマンは粘土こねてないから駄目です。

テリー・ザ・キッドは芸術品じゃないし、テリーマンが作り上げた物でもありません。

キッドは1人の超人であり、誰かに所有されたり支配されたりすることを決して認めてはいけません。
なんでこんな当たり前のこと書かなきゃいけないんですか?
悲しいので「児童の権利に関する条約」全文のリンクを貼っておきます。子どもは保護されるべき存在ではありますが、成人とほぼ同じだけの権利を生まれながらに持つことは国際的に共有されています。
キン肉マン』世界のテキサスは地獄(前編参照)ですが、この条約が批准されていないはずもなく、ただただテリーマンの認知がヤバい、しかもこれは今に始まったことではないわけです。

f:id:hxmxbx:20200808231812j:plain
ゆでたまごキン肉マン』37巻, 2010年, 集英社, p.175

息子作ってポケモンバトルしようぜ! ってこと?
そんな……生まれる前からこんな扱いを……キッドは……
これを美談だと思う人がいるのは存じ上げてるんですが、その、それって全人類の何%なんですか…?

f:id:hxmxbx:20200809030744j:plain

なるほどじゃないんだよなあ
親のエゴで子どもを捨て駒にするのは悪魔超人のすることなんだよなあ

親が叶えられなかった見果てぬ夢を子どもに押し付けるのも一種の虐待だとそろそろ公的に認められてもよくないですか?

f:id:hxmxbx:20200809030811j:plain

「キッドが必死に嫌がってるのに全然聞いてくれない」
せめて面白がらないでほしい

f:id:hxmxbx:20200809035752j:plain
「技のひとつも教えてあげてよ!」
何もしなくても子どもは勝手に育つなんて思うなよ!!
必殺技を直接教えたくないにしても、切り株抜きが必殺技の練習になるって一言さえあればキッドはここまで不安な気持ちにならなかったし、こういうことの積み重ねで自信や自己肯定感を失っていくんだぞ!
あと児童を労働力として搾取するのは平たく言って虐待だからな!!!

この悲しみは「テリー・ザ・キッドがちゃんとパパに教えてもらえた回」をみなさんにお見せして発散しようと思います。
f:id:hxmxbx:20200809040844j:plain
f:id:hxmxbx:20200809040900j:plain
f:id:hxmxbx:20200809040929j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世 究極の超人タッグ編』14巻, 2008年, 集英社, pp.157-161

よかった~~ ;)
このエピソードは『テリー・ザ・キッドの夜明け』にもうっすら生きていて、本当に良かったと思います。
f:id:hxmxbx:20200809041606j:plain
タイムスリップして過去へやってきた16歳(推定)のキッドとの思い出のおかげで、10歳(推定)のキッドもタックルだけはみっちりと教えてもらえたようですね。テリーマンは過去の思い出にしか興味がないので……


f:id:hxmxbx:20200809042038j:plain
テキサスという地獄でテリー一族に脈々と受け継がれていく呪い、これが『ヘレディタリー/継承』ってワケ

父親が自分に呪いをかけているだけだと気がつけば、この呪いは解けるでしょう。単純なことですが、気がつかないままさらに何世代も継承され続ける危険性は十二分にあります。
ジェンダーロール(この性別に生まれたからにはこのように生きなければならないという呪い)はこのように固定化されていくので、気がついた人は周囲の人が呪いを解くお手伝いをしていくべきなんですね。そしてかつての『キン肉マン』はそのような物語として機能していたはずです。キン肉マンは友人の呪いを解くために闘ってくれました。


ところで、キッドの想像する”ナメられる”は「両親に関して侮辱される」という部分が大きいようですね。
キン肉マンⅡ世』という作品において彼のアイデンティティが最後までただただ「テリーマンと翔野ナツ子の息子」でしかなかったことをうっかり示唆してしまったのでしょうか。
あるいは、彼がコンプレックスに感じている事柄がその2つしかないのか。
母親が日本育ちであることを過剰に誇る必要はありませんが、コンプレックスに思うことのない環境であってほしいですね。テキサスは犬のウンチを踏んでも一生ナメられ続けるのでかなり厳しいかと思いますが……
f:id:hxmxbx:20200810003729j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世』2巻, 1998年, 集英社, pp.166-167

なにこのエピソード? テキサスの牧場地帯に住んでて家畜のウンチ踏まん日なんかあるのか??(差別的発言)


よくわからない話をしているうちにキッドがピンチです。
f:id:hxmxbx:20200810004238j:plain
「本当になんでテリーマンは声をかけてやらねえんだ」
わかんない、なんでだろうね……
擁護のしようがないし、前回に引き続きテリーマン vs. 正論です

f:id:hxmxbx:20200810004852j:plain
あ、ああ~~~っ
「今どうすべきかよりも『親に怒られたらどうしよう!?』って不安になるのめちゃめちゃわかる、親に恫喝されて育つとこうなる」
真剣な話なんですけど、「キッドがこんな子でパパは情けない!恥ずかしい!」って怒ったことが一度も無ければこういう台詞は子どもから出てこないと思うんですよ。
それなりに話が通じる年齢になれば、なぜその行動が良くないのかきちんと考えさせたり教えたりする叱り方が必要になります。そんなときにキッドは「親に見捨てられたらどうしよう!」という恐怖心を煽られるような言葉、あるいは自分の意志を圧殺される屈辱的な言葉でひたすらコントロールされてきた可能性があります。

このブログでもたびたび触れている『毒になる親』(スーザン・フォワード, 玉置悟(訳), 毎日新聞出版, 1999年)に「コントロールばかりする親」という章があるので、そこから引用します。

自分が自分でいることに対していい気持ちでいられる親は、子供をコントロールする必要がない。この章に登場したすべての「毒になる親」に共通している点は、彼らの行動の根源には自分自身の人生に対する根深い「不満」と、自分が見捨てられることへの強い「不安」があるということである。(中略)親がこういう状態であると、子供は成人後も自分が何者であるのかというアイデンティティーがぼやけたままはっきりしない。それは、自分と親とは独立した異なる人間であることを実感しにくいからである。そのため、自分が望んでいると思っていることが、いったい本当に自分の望むことなのか、それとも親が望むことなのかよくわからない。無力感に襲われるのは、そのためである。(pp.86-87)

キン肉マンⅡ世』におけるテリー・ザ・キッドのふがいないキャラクター造形、またそれから想定されるテリーマンの精神状態、すべてこれで説明がつきませんか?
「オレはパパとは違う!」と「オレはやっぱりパパ、あなたの子だ」の反復横跳び、俗に成長リセットと呼ばれるほど揺れ続ける、父親を軸としたアイデンティティ形成。父親に支配されてきた証と言っても過言ではないと思います。
テリーマンは本当は、キン肉マンが大きいトロフィーをもらう方が嬉しいなんて思ってないんじゃないですかね。自分を欺き、息子には美しい部分だけを見せようとしているかのようです。あれが本音だったとしても、実際キッドと万太郎は面識がなかったわけです。つまり、キン肉マンテリーマンは10年以上も顔を合わせていない時期があった。キン肉マンは大王として忙しくてそう簡単にはキン肉星を離れられないし、テリーマンも息子に恨まれるくらいには忙しかったので、なかなか会えないのは当然です。キン肉星はwi-fiなんか飛んでなさそうだし(偏見)スカイプもできなかったんでしょう。
でも、なんというか、彼らの友情ってそんなもんなの?というがっかり感はありますよね。テリーマンもそうだったのでしょうか。ふたりの友情を美化して、その思い出に浸ってばかりの中年生活を送るほど、彼も孤独で不安だったのかもしれません。

こういう親は心理的に自分の人生が息子の人生に溶け込んでしまっているので、息子の人生は自分の人生であり、言葉を変えれば息子は自分の延長でしかない。(p.82)

そしてテリーマンは上記のような自分の問題に向き合わないまま、自分の人生の延長戦として息子を闘わせようとしているわけですね。テリー・ザ・キッドを巻き込むな


f:id:hxmxbx:20200810015418j:plain
この台詞を読んで少し安心しましたが、キン肉マンから万太郎への言葉も下に並べておきます。

f:id:hxmxbx:20200810015510j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世』28巻, 2005年, 集英社, p.194

もちろん状況が全然違うので比べません。たとえ弱音を吐いたとしても君は愛されているよ、少なくとも私は愛しているよ、という安心感を与えてくれるのが『キン肉マン』という作品だったもんね……としみじみしたいだけです。

私は『キン肉マンⅡ世』のアニメで『キン肉マン』を知って大好きになって、どっちが好きか訊かれたら迷わずⅡ世と答える方の人間です。
でも、成人後に読み返したときの違和感、2つの作品は価値観が180度異なっている部分があって、自分の価値観に合うのは『キン肉マン』だという確信、でもⅡ世が好きだという愛着、それらについて掘り下げていきたいと感じたのでこのようなブログを書いています。
勘違いされている気がしますが、私が好きなのは『キン肉マンⅡ世』です。
テリー・ザ・キッドに肩入れしすぎたせいでテリーマンのことが苦手になってきただけで……


f:id:hxmxbx:20200810030228j:plain
なんだその「長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」みたいな感想は
「跡取りやったら何なん」
元々跡取りという存在や肩書に価値を感じていなければこんな感想は出てきません。価値を感じているというか、跡取りとは強くてめげないしょげない何かを成し遂げる存在である!という信仰ですね。家父長制です。

f:id:hxmxbx:20200810031915j:plain
そんなんでも「パパの誇りだ!」されたら「パ…パパ~~ッ」しちゃうのがキッドの悲しさだよ
パパからの承認に飢えすぎている
これに関してはもうずっとそうだから何も言うことないですね

f:id:hxmxbx:20200810041300j:plain
煽り文がこれ以上ないくらい煽ってきます。信念だけでなく技も伝えてほしいし、信念とかいうふわふわした概念でしか父親と繋がれなかったからキッドの精神状態は不安定だし、そもそも困難に立ち向かえないメンタルの弱さが目立つし、このままじゃ二度と困難に立ち向かわせてもらえないんだよ、『キン肉マンⅡ世』の連載は終わったから(違う!終わってない!第2部が打ち切りになっただけ!!)


「クローバーはそういうことやったんか、そう、うーん」
なんだろうね、綺麗に伏線を回収したはずなのに何ひとつモヤが晴れない、『闘将!!拉麺男』で言えば「筋肉拳蛮暴狼の弱点の巻」のような読後感は……
「なんかもうとにかく怖くて、とにかく怖いとしか言えん」
でも安心してください、8/10に公開されるベンキマン外伝はものすごく面白いので! みんな読んでね!
「それは本当の”面白い”? それともコロコロコミックの”面白い”?」
コロコロコミックの方です。


おわり





おまけ:テリー・ザ・キッド「パパ」カウンター
7回
f:id:hxmxbx:20200810042654j:plain

テリー・ザ・キッド「パパ」カウンター

キン肉マンⅡ世 究極の超人タッグ編』、みなさん読んでらっしゃいますでしょうか?
読めば必ず誰もが思うであろうこと、ありますよね?

f:id:hxmxbx:20200802225511j:plainf:id:hxmxbx:20200802225547j:plain[f:id:hxmxbx:20200802225605j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世 究極の超人タッグ編』11巻, 2008年, 集英社, p.204, 216, 219

この人、パパパパうるさいなあって…

パパパパうるさいファザコン超人テリー・ザ・キッドが作中何回パパって言うか、気になりますよね。
私は気になったので数えました。

ルール:
テリー・ザ・キッドが「パパ」と言った台詞を数える
②「パパ」でなくてもテリーマンのことを指していたら一応メモを取る
テリーマンを指していない「パパ」もメモは取る

数えていきます。

「パパ」カウントのために読んでいるとまた新たな発見がありますね。

f:id:hxmxbx:20200802231120j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世 究極の超人タッグ編』2巻, 2006年, 集英社, p.29

若かりし頃のテリーマンとの感動の初対面シーンでは「パパ」とは2回しか言っていなくて、「パンパンの食パン」で「パ」を3回言っているなあとか……

読んでみればキン肉万太郎の「父上」の方が多いような気がして途中すこし数えてみたら
f:id:hxmxbx:20200802231408j:plain
A列が巻数、B列がページ数です
案の定めちゃくちゃ多かったし、キッドと違って万太郎は長台詞が多いから目立たないだけだったし、
「もう二度とあんたのことを父上って呼ばない」って言った後ちゃんと70ページくらいは「父上」って呼んでない万太郎偉いなあとか……

f:id:hxmxbx:20200802231939j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世 究極の超人タッグ編』15巻, 2008年, 集英社, pp.144-145

キッドが頸動脈を切られたのを見て鼻水流して感動してるテリーマンちょっと尋常じゃないくらい気持ち悪いなあとか……

そんなことでパパに認められたのにそのあと憑き物が落ちたようにパパパパ言わなくなるキッドに悲しさを感じる……まあこれは純粋にそれ以降ほぼ出番が無いだけなんですが……

f:id:hxmxbx:20200802233059j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世 究極の超人タッグ編』15巻, 2008年, 集英社, p.128

テリーマンが想像する「キッドとの未来の思い出」の2/3が虐待なのはそれでいいのかなあとか……

f:id:hxmxbx:20200802232438j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世 究極の超人タッグ編』21巻, 2010年, 集英社, pp.90-91

結局パパとは闘わせてもらえないというのに、テリー・ザ・キッドはなぜ生まれてしまったのかとか、
父親超えの機会を与えられないキッドへの救済措置が『テリー・ザ・キッドの夜明け』なのかよ!とか……

まあいいや……

そんなこと言ってたって始まんないし……





結果
テリーマンを呼んだ総回数:54回
テリーマンを「パパ」と呼んだ回数:45回
「親父」:2回
その他:てめ~、おめー、テリーマン、あんた

キッドが「パパ」という語を使った数:49回
「パパ…」の回数:17回
「パ …パパ…」の回数:7回
「パパーーッ」の回数:6回

キッドが「パパ」と言うために発した総「パ」の数:109


煩悩の数より「パ」が多かったですね。

f:id:hxmxbx:20200802233610j:plain
f:id:hxmxbx:20200802233307j:plain


以上です。

『テリー・ザ・キッドの夜明け』前編

今回はキン肉マンシリーズをほぼ知らない友人たちに無理やり『テリー・ザ・キッドの夜明け』前編を読ませて、その言葉を引用しながら感想を述べていきます。

「浜場さんは切り株抜きを”男らしさ”とするテリーマンの主張をとりあえず受け入れた上で話してるけど、そもそも切り株抜きと”男らしさ”は関係ないと思う」との声に
「それを受け入れないと『キン肉マンⅡ世』は読めないよ、ずっとこんな話が続くんだから…」と返すしかなかったからです。
少なくとも究極の超人タッグ編はずっとこんな話が続くわけですが、それを完全に受け入れてしまった私にはもう客観的な考察などできないのです。冷静さも的確さも判断力も無い感想しか書けない……

『キン肉マンⅡ世』特別読切 『テリー・ザ・キッドの夜明け』前編 - キン肉マン - コミック|週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト]からモリモリ画像を引用させていただいてお送りします。


f:id:hxmxbx:20200801204107j:plain
四葉のクローバーの夜明け』じゃない?
みんなはどう思う?

「肩の星って光るんや…」
そうだね、そもそもそういうところから意味がわからないよね、変なもの読ませてごめんね……
f:id:hxmxbx:20200801212609j:plain
f:id:hxmxbx:20200801212847j:plain
ゆでたまごキン肉マン』22巻, 集英社, pp.122-123

両肩のスター・エンブレムは光るし取れるし自由意志がありそうだし強化ガラスより硬いよ


いきなりオチに行ってしまいましたが、順を追って見ていきます。
f:id:hxmxbx:20200801220659j:plain
テリーマンの過去の栄光が強調されるのめちゃめちゃ怖くないですか?
例のブチ切れビンタ事件って「キッドに自分の過去をけなされて激昂した」という読み取りができなくもないじゃないですか。違うと信じていますが、テリーマンが自分の過去に誇りを持てば持つほどそのへんが危うくなるので、自覚しておいてほしいところです。(誰に言ってるの?)
トロフィーとかベルトとか飾る気持ちはわかるし、キン肉マンとタッグトロフィーを掲げてる写真を横に並べるのもわかるんです。でもキン肉マンがトロフィー持って嬉しそうにしてる後ろで拍手してる写真や胴上げしてる写真はわからないです。何を思ってそんなものを……
キン肉マンが大きいトロフィーもらう方が嬉しかったって本気で思ってるのか?
そう思い込みたかったのかな? キン肉マンという輝かしい人生を送った男の横で何も成し遂げなかった自分を肯定するためにはそうするしかないから? 年老いて体が思い通りには動かなくなっていく焦りを、過去に思いを馳せて美化することでしか紛らわせないから?
テリーマンの中年の危機問題がテリー・ザ・キッドに降りかかるのが『キン肉マンⅡ世』の常ですが、それをまざまざと見せつけないでほしいという気持ちがあります。だってつらいから。
f:id:hxmxbx:20200801222124j:plain
キッドの方を見て話せ
子どもがケガして帰ってきてんだぞ
おい
こっちを見ろ

いや、わかりますよ、わざわざキッドの表情を見なくたって、話を聞かなくたって、年頃の男の子、しかも超人レスリングをやっている子だからケンカに違いないとわかる”偉大な父親”像、わかりますよ。わかった上でふざけんなクソボケと思っているだけで……
ナツ子さんはたぶん最初は心配していて、でも2週間続いてさすがに呆れてるんだろうなとわかりますが、彼女の口ぶりからして、テリーマンはこの日まで見てないと思うんですよ。2週間も、一度も、キッドをちゃんと見ようとしなかった。
男の子は放っておいても勝手に育つと思っている節がありますね。そういうのを有害な”男らしさ”って言うんですよ。男の子だからケンカしてケガして帰ってくるのが当たり前と思ってるのも、それを良いことだと思ってるのも、間違いなく有害です。
f:id:hxmxbx:20200801223618j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世』14巻, 2001年, 集英社, p.89

さすがオリンピックに出場しても見に来てくれないと思われていただけのことはありますね。
「まさかここにいるわけが…」じゃないんだよ、普通は来るんだよ、オリンピックなんだから……

テリーマン育児放棄しているのは20年前からわかっているのでこのくらいにしておきましょう。
f:id:hxmxbx:20200801224609j:plain
「すごいクソガキじゃん」
すごいクソガキだしすごいよく喋るな、テリー・ザ・キッドがこんなに喋るとこ初めて見たよ、「お金ちょうだい!」までの流れるような長台詞すごいな、本当に何なんだ、頭が良いのか性格が悪いのかどっちなんだ、すごいクソガキだな!?
そういえば例のブチ切れビンタ事件のときのキッドもよく喋るな~という印象なのですが、前後関係はどうなんでしょう。ビンタされてからあんまり喋らない子になってたら嫌だな……
f:id:hxmxbx:20200801225524j:plain
ヒィッ……
斧でぶん殴られるかと思った……

「私もキッドの横に斧を振り下ろすのかと思った」
やっぱそうだよね!? 私だけじゃないよね???*1

ブチ切れビンタ事件のせいでテリーマンのことを信用できなくなってしまいました。

ていうか切り株抜きって何?
f:id:hxmxbx:20200801231449j:plain
f:id:hxmxbx:20200801230828j:plain
斧持ったパパに言われちゃあ「わかったよう…」としか返せないですね。
斧持って子どもと会話しないでほしい。
あと自分が保守的な気風なだけなのをテキサスのせいにしないでほしい。
テリー一族の伝統であること、つまりレスリングの上達のために代々やっているであろうことをテキサスに絡められるとよくわかんないじゃないですか。それとこれとは別でしょう。超人レスリング関連の本がたくさんある本棚にHOLY BIBLEを入れるところからもその素朴な信仰が窺えます。事実として神が105柱いる多神教キン肉マン世界におけるHOLY BIBLEが何を物語るのか私にはわかりませんが、ゆでたまご先生にとって敬虔・実直・頑なさが横並びのイメージであることは何となくわかります。
テリーマンってもっとこう、狂犬だったじゃん…とは思いますが……
f:id:hxmxbx:20200802021308j:plain
ゆでたまごキン肉マン』19巻, 集英社, p.44

このへんの記憶はテリーマンの脳からは消え去ってしまったのでしょうか。

f:id:hxmxbx:20200801232042j:plain
「なんぼほど切り株抜くねん!」
「そのペースで毎日やったら切り株なくなるやろ!」
「これを一族代々……」
牧場の整地って聞いてたのに開拓してない?
「西部開拓時代からずっと……農地を広げるために……」
焼畑農業みたいなこと?

そういえば劇場版の『大暴れ!正義超人』(1984年)で契約しようとしてた土地って何だったんだろう、アニメでは一族で土地を受け継いでない設定なのかな、テキサスに生まれ育って土地持ってないの心配になるな……
f:id:hxmxbx:20200802001155j:plain
テリーマン vs. 正論じゃん
「伝統」の一言ですべて押し通せると思ってるその伝統信仰はどこから来てるんだろう?
その伝統がもう古くさくて非効率的だって子どもに言われてるんだぞ、これからの未来を担う子どもたちに……
「男は狩猟、女は採集をしていた古代より…」みたいなこと言って男女差別を押し通す縄文時代の人と同レベルじゃん、同レベルっていうか同じなんだろうな、こういう原始的なことをやっている間は男の腕力が必要な世界に住んでいられるから”男らしく”生き続けることができるもんね?
ハ~~
テリー・ザ・キッドは巻き込まないでくれ……
非合理の塊ことテリーマン、あまりの非合理にジャスティスマンさえ音を上げたテリーマン……
f:id:hxmxbx:20200802004244j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世 究極の超人タッグ編』15巻, 2008年, 集英社, p.17

そんなテリーマンばかり見ているので『キン肉マンⅡ世』あるある偏見「アメリカ超人は合理的」に全然共感できないのですが……

それはさておき暴留渓(ボルケ~ノ)の登場です。
f:id:hxmxbx:20200802004838j:plain
「この切り株みたいな頭の人はなんで煙出してるの?」
察してくれ…! ボルケーノという名前から……!

というか切り株?に?見える??
「切り株いっぱい抜いてたから、切り株のお化けが出てきたのかと…」
切り株の祟りが……
f:id:hxmxbx:20200802005407j:plain
先祖代々テリー一族に抜かれてきた恨みが理由で……

お遊びはここまでです。
父親の自己正当化のために切り株を抜かされるキッドも相当アレですが、どうやら父親のライバルの息子を倒すために育てられたらしい暴留渓のオリジンも恐ろしげです。
f:id:hxmxbx:20200802023023j:plain
ゲイシャガール~~ッ!?」
ゲイシャガールはダメです。
悪役の悪い台詞として描いてるにしてもダメです。2009年でもギリギリダメです。
ここまで暴留渓はただ純粋に柔術が強いだけで悪いことはしていないので、無理やり悪役要素を乗せようとしたのかもしれませんが、それでもダメです。
f:id:hxmxbx:20200802023734j:plain
「丸太刺さってますけど…」
丸太刺さってハチャメチャに血が出てるのにかっこつけてるのどういうこと?
f:id:hxmxbx:20200802024153j:plain
ゆでたまごキン肉マンⅡ世』3巻, 1999年, 集英社, p.59

この時は馬から落ちてなかったからかっこつけてるのわかるけど……
いややっぱダメだな、こんな不思議なポーズでドヤ顔してるくらいなら落馬してる方がマシだわ

自分の超人レスリングが正しいと信じてても丸太は避けなよ
f:id:hxmxbx:20200802025623j:plain
テキサスは地獄
この世は無常、テキサスは地獄……

キッドくんほんとテキサスから出てきてくれてよかった、大阪に定住しよう……
辛かったらいつでも頼ってね……
ナツ子さんがテキサスに持ってきていた『吉本新喜劇 ギャグ100連発』等のVHSを何度も繰り返し見せられていたキッドは80年代のギャグに造詣が深いので、ある日スポーツコーナーでゲスト出演した『せやねん!』にてトミーズ雅の目に留まり、14歳の少年から発せられる「アホちゃいまんねんパーでんねん」等の往年ギャグで関西の中高年をメロメロにすることは知っているし、その未来があるから私は『キン肉マンⅡ世』を読むんだ……たとえそれが私にしか見えていない未来であり、この文章が関西の人間にしか理解できない内容になっているのだとしても……

キン肉マン世界のテキサスがなぜここまで地獄になってしまったのかはわかりかねますが、現実世界の”男らしさ”と照らし合わせることはできます。

一九七六年、社会心理学者のロバート・ブラノンとデボラ・デイビッド*2は、男性の性役割に関する、すなわち伝統的な男性性に関する基本的な構成要素を四つにまとめた。ひとつ目は「意気地なしはダメ」。二つ目は「大物感」。上に見られたいという欲求と、男性の成功とステータスを論じている。三つ目の「動じない強さ」では、とりわけ危機的状況における男性のたくましさと自信と自立心を説明している。四つ目の「ぶちのめせ」では、男性の振る舞いにおける暴力性、攻撃性、大胆さを論じている。
グレイソン・ペリー, 小磯洋光(訳)『男らしさの終焉』フィルムアート社, 2019年, p.20

先ほどの丸太は③動じない強さを示すエピソードということで良いでしょう。丸太が刺さる方が”男らしい”ってわけです。危機的状況にあっても自信があるから動じない、その”男らしさ”の証ですから。
「ナメられたら一生ナメられ続け 誰も助けてくれやしない」という圧倒的に理不尽な世界観は言わずもがな”男らしさ”を信仰するがゆえのものですね。①意気地なしは蔑まれる世界であり、②大物になるか大物に踏みにじられるかの両極端の世界です。この世は地獄。
f:id:hxmxbx:20200802040303j:plain
そんな最低最悪の”男らしさ”競争に勝ち上がり、男が男に男を見せた結果得られるのが「幸せな勝利」、④ぶちのめせ!というわけですね。
何の意味があるんだ?

男同士助け合って生きていこうって『キン肉マン』は教えてくれたんじゃなかったの?
男だって泣いていいし助けられていいし誰も踏みにじられるべきでないって泣きながら戦ってくれたのがキン肉マンでしょう?

何を勘違いしてるんだ
どうしてそんな時代遅れの”男らしさ”をテリー・ザ・キッドは強要されなくちゃいけないんだ
その幸せに愛はあるのか

テリーマンは『キン肉マン』を読んだ方がいいよ、”男らしさ”信仰から抜け出すきっかけになると思う、自分の過去についての認識も改められるし……

f:id:hxmxbx:20200802043532j:plain

少なくとも自分の子どもが晩ごはんも食べずに朝まで切り株抜いてるの放置できる精神性はヤバいからカウンセリングかグループセラピーに行ってほしい、心に愛が無いのにスーパーヒーローぶらないでほしい

f:id:hxmxbx:20200801204107j:plain

もう何もわからない、テリー・ザ・キッドの夜は物理的には明けましたが、精神的には暗闇ではないですか、しおれかかった四つ葉のクローバーはキッドに救われたので『四つ葉のクローバーの夜明け』です

「なんで最後クローバー出てきたん?」
さあ……






これ四つ葉のクローバーにちなんで「テキサス・クローバー・ホールド」ってことなんですか!?
技の形だけで十分クローバーなのわかってますけど!???!?!!?


おわり

*1:浜場はカジュアルに殴るタイプの親に育てられたし、青字の人も親に包丁を突きつけられたことがある

*2:明らかに孫引きとなってしまっていますが、ここで参照されている『The Forty-Nine Percent Majority: The Male Sex Role』は邦訳が無く、原書にあたる時間的余裕のない生活を送っています。お許しください。

テリー・ザ・キッド 親に愛されてたらスカーフェイスに勝てた説

以前からの疑問というか、「『キン肉マンⅡ世』のこの部分、実はこういうことなんじゃないか?」と思っていることがいろいろとあるのでブログを開設しました。

キン肉マン』の続編、息子世代の物語である『キン肉マンⅡ世』は主に、①親世代が直面する「中年の危機(老いへの恐怖と自己同一性の揺らぎ)」と、②決して子どもの視点からは語られない「親に愛されないということ」の2つを題材としたいくつかのエピソードから成り立っていると私は考えています。

記事タイトルの通り、今回は後者に関する記事です。

f:id:hxmxbx:20200713052848p:plain
「説」ジェネレーターさんにて作成。

テリー・ザ・キッドが公式戦初の敗北を喫した試合であり、彼にとっては最後のシングル戦となってしまっている、このvs.スカーフェイス戦について、お伝えしたいことがあります。


テリー・ザ・キッドというのは、『キン肉マンⅡ世』の世界に生きている14歳(推定)の正義超人であり、
キン肉マン大親友ことテリーマンと、雑誌記者である翔野ナツ子との間に生まれたテキサスブロンコです。
なにせ”Ⅱ世”なので父親との確執がいろいろとありますが、根は真面目で朗らかな子です。
f:id:hxmxbx:20200719011224j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世~オール超人大進撃~』1巻, 集英社, 2002年, p.43

……とだけ聞けば、↑のようなキッドを思い浮かべたかもしれませんが、これは平行世界のテリー・ザ・キッドです。
本編のキッドはもう少し鬱屈した性格をしていますね。
今はその訳を語りませんが、まあおいおいわかります。
f:id:hxmxbx:20200719022218j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世』5巻, 集英社, 1999年, p.166

細い画像ですが、今出てきたのがスカーフェイスです。
彼がどのような超人であるかは以下の通り。

パワーファイターでありながら、テクニックにも優れ、博識かつ心理戦を得意とした頭脳ファイターという多面性をもつ。
『学研の図鑑 キン肉マン「超人」』学研, 2019年, p.67

キン肉マンⅡ世』最強格の1人との呼び声高いスカーフェイス。彼は純粋に強いだけでなく、「心理戦」と銘打って対戦相手のコンプレックスを的確に刺激することができます。

キッドは肉体的にも精神的にもスカーフェイスとの試合で完膚無きまでに叩きのめされ、5巻にしてどうしようもない挫折を味わいます。もうこの子はリングに立てないかもしれないな、と感じられるほどに。(まだ5巻なのに……)
f:id:hxmxbx:20200719022242j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世』5巻, 集英社, 1999年, p.180

このブログは格闘評論を目的としていないので、2人の格闘技術やパワーについては触れません。
また、キッドの技がテリーマンから受け継いだものばかりでオリジナリティが無いことにも注目しません。それはキッドの弱さではなく、彼をそんな魅力の少ないキャラクターに仕立て上げたゆでが悪いだけだし、バトル漫画においてオリジナリティの無さが必ずしも負け筋になるわけではないと思うからです。風林火山は基礎技の連撃であり、キン肉バスターだって元々はプリンス・カメハメから伝授された技なんですから。

よって、今回の本題は以下のシーンになります。
f:id:hxmxbx:20200719011307j:plain
f:id:hxmxbx:20200719011554j:plain
f:id:hxmxbx:20200719011618j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世』5巻, 集英社, 1999年, pp.170-172

スカーフェイスの攻撃により口腔から出血したキッドは、テキサスでの両親との思い出に浸って現実逃避をしてしまいます。なぜかそれをスカーフェイスに言い当てられ、あまりにも図星でさらに動揺するキッド。親の存在が明かされず孤児のように描写されるスカーフェイスとの対比でもあり、キッドは「親に甘えている」弱さがあるかのように見えます。そりゃ勝てないわな、と思うかもしれません。

でもちょっと待ってください。これって本当に良い思い出ですか????
もう一度回想シーンを見てみましょう。
f:id:hxmxbx:20200719011554j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世』5巻, 集英社, 1999年, p.171

もしかしたら未就学児かもしれない小さな子どもである自分が口から血を出す大怪我をしているのに両親が朗らかに笑っていた思い出、良い思い出になり得ますか???????
何笑ってんだ、草噛ませて満足するな、保護者として他にも言うこととかやることとかあるだろ、何なんだ? キッドくんもキョロキョロしちゃったじゃん。「大丈夫?」「痛かったね」くらい言えないのか??

みなさんにはありますか? 子どもの頃、自分としてはかなり真剣だったり必死だったりしたのに、大人には一笑に付されて、とても悲しかったor怒りをおぼえた記憶が……
大人になってから思い出してみれば確かに他愛のないことだったし、笑っちゃう気持ちもわかるけど、あのときは本気で傷ついた、そんな記憶が……

そう、この記憶は14歳のテリー・ザ・キッドにとって「良い思い出」ではないはずです。
これではむしろ「親に傷つけられた思い出」です。もしかしたら彼自身はそのことに気がついていないかもしれませんが……

ただでさえ劣勢の試合展開なのに、唐突に過去の悲しい記憶が甦ってしまったら、立ち上がれなくなってしまいますよね。自分は無力であることを思い知らされ、こいつには勝てないのではないかという不安に苛まされて当然でしょう。

子供時代に親からしっかりとした愛情を与えられず、ひどく扱われてきた人間は、みな例外なく――仕事に有能で、成功している人ですら――内面には無力感と不安感を抱えている。
スーザン・フォワード, 玉置悟(訳)『毒になる親』毎日新聞出版, 1999年, p.35

キッドの敗因は「親のことを思い出して現実逃避してしまう甘っちょろさがあったから」ではなく、「傷ついたときに自分を奮い立たせるような記憶が無かったから」なのではないでしょうか。

これだけではただのいちゃもんなので、「親に愛されていた記憶のおかげで劣勢から巻き返したシーン」もご覧いただきましょうか。
f:id:hxmxbx:20200721041006j:plain
f:id:hxmxbx:20200721041530j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世 究極のタッグ編』14巻, 集英社, 2008年, p.30, 32

バッファローマンのロングホーンに体を締め付けられる痛みが、かつて父親に抱きしめられたときの温もりとリンクし、力がみなぎってくる万太郎。Love is Powerですね。
口から血が出て変な記憶が蘇ってしまったキッドとの差は歴然でしょう。
自分は父親に愛された、その確信が万太郎を強くしています。

愛された万太郎/愛されなかったキッドの対比はこれだけに留まりません。
f:id:hxmxbx:20200721042145j:plain
f:id:hxmxbx:20200721042205j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世 究極のタッグ編』12巻, 集英社, 2008年, pp.180-181

リングの鉄柱を使用した凶器攻撃を仕掛ける幼い万太郎に対し、キン肉マンは鉄柱(つまり万太郎の過ち)のみを蹴り落とし、正しい教えを復唱させ、よくできた!とばかりに万太郎を抱きしめます。愛情を感じますね。正しさとは何か、正義超人たるものどう生きるべきか、しっかり学ぶことができるしつけと言えそうです。
f:id:hxmxbx:20200721042804j:plain
f:id:hxmxbx:20200721042832j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世』1巻, 集英社, 1998年, pp.67-68

身勝手なわがままを言う幼いキッドに対し、平手でぶん殴るテリーマン。確かにキッドの主張は正しいとは言えませんが、ぶん殴らなければならないほどでしょうか。キッドにとってはただ「自分よりもキン肉マンとの友情や思い出を優先された」と感じただけの出来事だったのではないでしょうか。
また、体罰に教育的効果は無いというのが2020年の一般的な考えであることは言うまでもありません。
(この件はあまりにもあんまりなので、後日別記事にて論考します)

この違いは2人の人格形成に多大なる影響を与えたはずです。

もし親との関係が基本的に子供の安定した情緒をはぐくみ、人格を大切にするものであるなら、その子供は情緒的に安定した子供に育ち、世の中は基本的には自分を受け入れてくれる場所であるという感覚を持った人間になることができる。そしてそのようなポジティブな感覚を持つことにより、対人関係においても他人に心を開き、自分の弱点を外部にさらしても比較的平気でいられる人間になれるのである。
だがその反対に、子ども時代に緊張と不安にさらされ、苦しみを強いられてきた人間は、成長するとともに、自分を防衛するために常に心身を硬くこわばらせた人間になっていく。それは精神的な鎧をまとっているようなものだ。しかし、そうやって自分を守っているつもりでも、それは他人を近づかせないということであり、自分を牢獄に閉じ込めているようなものなのである。
スーザン・フォワード, 玉置悟(訳)『毒になる親』毎日新聞出版, 1999年, pp.136-137

長々と引用してしまいました。
前者は万太郎のパーソナリティにかなり近いですよね。情緒的に安定しているかどうかは微妙ですが、彼は常に自身が受容されているという認識を持ち、自分の弱さをさらけ出すことにためらいがありません。『キン肉マンⅡ世』という漫画はそんな彼をどちらかといえば嫌な奴として描きましたが、楽しく生きていくためには多少のわがままさがあった方が良いということに、みなさんも長い人生の中で気づいたのではないでしょうか。まだ気がついていない人は今気がついてください。
万太郎は親に愛されていたから、自分は他者に愛されて当然だと知っていて、だからこそ他者に愛される存在として育つことができました。

さて、後者はどうでしょうか。初登場時のテリー・ザ・キッドそのものではないですか?
f:id:hxmxbx:20200726142412j:plain
f:id:hxmxbx:20200726142441j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世』1巻, 集英社, 1998年, pp.57-58

何と言うか、こんないやみな振る舞いをしていたら嫌われるに決まってるんですよ、誰からも愛されないんです。まだ14歳(推定)なので多少イキったところはあるにしても、それくらい理解できないテリー・ザ・キッドではありません。他者を受け入れないことで自分を守る代償として、彼は孤独の中に生きてきたわけです。

そんなキッドの心に変化が起きるきっかけとなった出来事がこちらです。
f:id:hxmxbx:20200726142726j:plain
f:id:hxmxbx:20200726142745j:plain
ゆでたまごキン肉マンII世』1巻, 集英社, 1998年, pp.75-76

この涙の理由をみなさんはどのように解釈するでしょうか。
キン肉マンの性格が、思っていたような自己中心的なものではないことがわかり、逆に自分のこれまでの思い込みの身勝手さを痛感して反省したから?
キン肉マンテリーマンの献身に感謝していることを知って、二人の友情に感銘を受けたから?

私の解釈は「初めて愛に触れたから」です。

テリーマンキン肉マンとの友情を教えたとき、キッドがされた仕打ちは何でしたか? 純粋な暴力でしたね。キッドがそのとき学んだ”愛情”はただの暴力であり理不尽です。それで愛を知ることなど到底できません。

一方、キン肉マンテリーマンとの友情を教えたときはどうでしょう。キン肉マンはキッドの傷の手当てをしてくれましたね。キン肉マンを侮辱し、万太郎に怪我をさせて悪びれもしなかったキッドに対してです。
それだけではありません。キン肉マンテリーマンとの友情によって勇気づけられたことを語ります。きっとこれが”愛情”の本質です。愛されていた確信があれば、強く生きていくことができます。傷ついて倒れそうなときには、愛された記憶が自分を奮い立たせてくれるでしょう。
愛するとは何か、愛されるとは何か、キン肉マンとの出会いによって初めて、キッドは愛に触れることができたのではないでしょうか。

はたしてテリーマンはこれと同じことをキッドに伝えようとしていたでしょうか。
テリーマンはキッドと、愛し愛された記憶を育むことができていたでしょうか。

「毒になる親」に育てられた子供は、愛情とは何なのか、人を愛したり愛されたりするというのはどういう気持ちになることなのか、ということについてよくわからず、混乱したまま成長する。その理由は、彼らは親から、”愛情”の名のもとに”愛情とは正反対のこと”をされてきたからなのだ。その結果、愛情とは「非常に混乱していて、劇的で、紛らわしいもので、苦痛を伴うことがよくあり、時としてそのために自分の夢や望みをあきらめなくてはならないもの」という認識を生む。だが、心の健康な人間ならすぐわかるように、真の愛情とはそんなものではない。
スーザン・フォワード, 玉置悟(訳)『毒になる親』毎日新聞出版, 1999年, p.311

テリーマンを糾弾したいわけではありません。
少なくとも今夜『テリー・ザ・キッドの夜明け』を読むまでは断言してはいけないと思っています。
ただ、『キン肉マンⅡ世』を読んだみなさんが「キッドは甘やかされて育った二世超人だからスカーフェイスに勝つための精神力が足りなかったのだ」と感じたとすれば、それについてもう少し考えていただきたいと思ったのみです。

キン肉マンⅡ世』アニメ主題歌である『HUSTLE MUSCLE』(作詞:里乃塚玲央)の歌詞は1番が万太郎に向けてのもの、2番はキッドへ向けたものだと個人的には解釈しているのですが、〈傷ついて 倒れそうなときには〉抱きしめることのできる〈遠い日の記憶〉がある万太郎に対して、〈寂しさが 溢れそうなとき〉があるキッドは〈やがて来る奇跡たちに 微笑〉むことしかできない非対称性に、私たちは向き合うべきではないでしょうか。

「毒になる親」から受ける「ネガティブな力」を減らしていくには時間がかかる。けれどもあきらめずに一歩一歩進んでいくことによって、子供のころからずっと押し隠されていた本当の自分を解放し、内面に閉じ込められていた力をしだいに出すことができるようになってくるだろう。「毒になる親」の呪縛から本来の自己を解き放ち、自分の人生を自分の手に取り戻してほしい。
スーザン・フォワード, 玉置悟(訳)『毒になる親』毎日新聞出版, 1999年, p.29

テリー・ザ・キッドのさらなる活躍を願っています。